私の温泉観
世界中に温泉は数多く有りますが、温泉入浴を文化にまで高めたのは日本人だけだと思います。 子々孫々の代までこの素晴らしい温泉入浴文化が存続していたら良いと思いませんか? そのためにも世界に自慢できる日本の温泉文化を大切にしていきましょう。 |
温泉は地球の汗・・・・ だったら火山はフキデモノ? そして空吹きは屁? ついでにボッケはビチグソ?
なんて、私はいつも思っています。 地球の営みの一部である温泉と人間が重なって思えるのです。
温泉にも色々ありますが、私は天然自噴の温泉が好きだ。 中でも自然のままに湯が湧きだしている野湯や歴史を感じさせてくれる鄙びた湯治場など情緒系の温泉が好きなんだな〜。 おおらかな混浴もいい。
日光浴して太陽エネルギーを浴びるのと同じように、温泉浴をすると偉大な地球のエネルギーを直接肌で感じる事ができ、自分の体に自然のエネルギーを取り込めるような気がするのです。
おまけに温泉は体を温めてくれるばかりでなく、いろいろな成分やガスを地中深くから運んでくれ、様々な効能をもたらしてくれるのだ。 またそこに行く事自体が肉体的・精神的に私達の健康維持に役立っているのだと考えている。
人好き好きでしょうが、私は成分たっぷり・匂いプンプン・湯の花プカプカ・ど〜ろ泥の温泉が好きだ。 とは言っても、目にしみるほどの亜硫酸ガスが発生していたり、オ○ンチ○が痛くなるほどの酸性度の強い硫黄泉や、ドブのような野湯には腰が引けてしまう事もまれにあります。←実は好きだったりして(笑)
掘削技術の目ざましい進歩によってリスクの少ない温泉掘削が可能になり、昨今の温泉ブームもあり昔からの温泉地ばかりでなく都会でもつぎつぎと温泉が掘られています。 今や都会のど真ん中にだって温泉付きの分譲マンションがドンドン建設されています。 このままでいいのかな〜と思ってしまう今日この頃です。
「源泉温度が○○度以上、○○の成分を含む」ということで、定義上は温泉なのだろうけれど、正直言って私はそれら何億円もかけて数千メートルも掘ってしぼり出したような温泉はあまり好きになれません。 よほど他に良い事が無い限り特に行きたいとは思いません。 しかし、食わず嫌いもいけないのでたまには行く事も有りますが、、、。
源泉の香を楽しみ、味わって楽しみ、肌触りを楽しみ、ロケーションを含めた雰囲気を楽しみ、裸(ナチュリズム)の開放感に浸る。 これが私の温泉の楽しみ方です。
海や山、川などの大自然に囲まれたあまり人手を加えていない露天風呂が好きだ。 老若男女入り乱れての混浴ならさらに良い。 会話が弾めばもっといい。
女性の裸目的の待ち伏せ君だらけで、入浴者同士が会話も無くただ黙々と長湯しているような混浴は入浴してもただ肩が凝るだけだ。
近頃、他人との会話や世間話もろくに出来ないコンビニ世代の大人も増えてきている。 これも時代の流れなのだろうが、個人的には大変寂しく思います。 やっぱ温泉には情緒が無くっちゃ〜。 ドンドン語ろうよ。
私は子供の頃からよく湯治場の温泉に連れて行かれたせいか、いまだに人情あふれる田舎の湯治場の温泉が好きなんです。
幼い頃、湯治宿で鍋を手に自炊をしていた見知らぬおばあちゃんに、手料理をご馳走になった記憶があります。 いまだにそのような人情が忘れられないんですよね。
これからは私達がその時のおばあちゃんのように振舞わなければならないのだと思います。 だから温泉に行くと見知らぬ人に語りかけてしまうのかも知れません。
最近よくどこでも見掛ける、「おかげさまで」の心を知らない「自分たちだけ良ければそれで良い」といった方には閉口してしまいます。
私の温泉観と言うよりも理想温泉論の様になってしまいました。(笑)
●温泉の定義●(温泉法第2条をかいつまんだものです) 法律では「温泉とは地中から湧出する温水、鉱水、及び水蒸気、その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)で、温泉源での湧出温度が25℃以上、または温泉法で定められた特定の物質を規定量以上含んでいる物」とされている。 「はたして25℃の真水の地下水は温泉なんだろうか???」と私は思ってしまうのであります。 |
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